kmizuの日記

プログラミングや形式言語に関係のあることを書いたり書かなかったり。

「マウンティング」という言葉って使わない方がいい気がする

 ブログやSNSなどの媒体で「マウンティング」という言葉がカジュアルに使われるようになって、何年くらい経ったでしょうか。皆さんご存じのように(?)霊長類が行う行動としての「マウンティング」という用語はそれ以前からずっとあったわけですが、インターネットでこの言葉が盛んに使われるようになったのはここ10年くらいのことです(あるいはここ5年くらい?)。ともあれ、ネット用語としての「マウンティング」が使われ出したのが何年前かは興味がないのですが、この言葉は無駄に揉め事を増やすだけであんまりイイことがない。本当にいい事がない。この言葉がはやり出した頃に何度かつぶやいた記憶があるのですが。

 マウンティングというのはまず第一に「事実」に関する言葉ではなく「相手に対して自分の優位性を、特に公衆の面前で示そうとする」という「意図」を表す言葉として使われていることがポイントです。たぶん、なーんか皆が感じていたモヤモヤをうまく表現しているように感じられたのでこの「マウンティング」という言葉が定着したと思われるのですが、本当にマウンティングかを見分けられる程人間って相手のことをわかっているんでしょうか?特にこの言葉ってどっちかというとよく知らない相手にぶつけるものですけど、よく知らない相手がマウンティングしてるとどうしてわかるんでしょうか?その点がまず疑問です。

 もうちょっと具体的な例として、SNSでは特に知識マウンティング、つまり「俺はお前より知っているんだぞ」が鼻につくという話が多いように見えます。しかし、私自身、ニッチ領域ですがある領域の専門家として、理解度の差が絶望的にある相手に対して、繰り返し繰り返し、こうなんだよと諭してもわかってくれない場合に「もう一から勉強しなおした方がいいんじゃないかな」と思ったことは一度や二度じゃないですし、実際言ったことがあります。その時に突き放す言い方は大人げないとか心が狭いとか器が狭いとか不機嫌だったとか反省点が多々なんですが、明らかにマウンティングとは動機が別であって、強いていうなら「なんでここまで時間割いて、頑なな相手に知識伝えるために頑張らないといけないの?もう相手するのがしんどい」が本音だったりします(あくまで専門に近い領域限定ですが)。

 これはどう考えても私の意図としてはマウンティングではありえないですし(しんどいし揉めるのはやだけど、ここは言っとかないとなあとかいうのが本音で、マウンティングとは動機がずれすぎてますから)、他にも専門家方面の人が圧倒的な理解度の差で相手を叩き潰してしまうときにマウンティングととられてしまうケースを時々みますが、言い回しの問題があるにせよ邪推ないしはコミュニケーション上のミスですよね。マウンティングする程暇じゃないってのが本音の人も多いのではないでしょうか。

 もちろん、理解度が低い割に色々な分野の知識をひけらかすタイプの方で「ああ、これはマウンティングぽいな」と感じることもあるにせよ(たぶん、複数思い当たる人物が皆さんいるのではないかと思いますがあえて伏せます)、これも実はなんらかの勘違いで、本人としては「この知識を大衆に啓蒙してあげよう」という善意なのかもしれません。その場合には別の問題(相手を見下す態度とか、傲慢さとか、自分が知識において優位であると思い込んでいるとか)があるにせよ、マウンティングとは別の話になりますよね。

 陰口で「あいつマウンティングしてるよね」くらいの密室コミュニケーションはストレス発散のために悪くないのかもしれませんが、Twitterやブログなどの「全世界に開かれた」場所でマウンティングとか言ってしまうのは無駄な揉め事を増やすだけであまりにもメリットがない。そういうこともあって、私は公の場ではほとんどマウンティングって言葉を誰かに対して使ったことがありません(twilog見ると、数回程度「使ってしまった」箇所がありますが、これについても反省した方がいいなと今は感じてます)。

 結論としては、マウンティングって言葉、特定の相手に公衆の場で投げてもいいことがないので、使うの出来るだけ止めた方がいいのではないかなあということです。そもそも、動機がマウンティングであろうとも言説の正しさとは直交した話ですし、「マウンティングだから言ってることが間違ってる」なんていうのも妙なお話です。この言葉を投げたくなるってことは相手に対して相当ムカついてるんだと思うので、発散することが悪いとは思わないのですが、せめてそういうのは限られた人しか見られない空間でやる方がまだ健全じゃないでしょうか。陰口が健全じゃないとかいう話もありますが、これは有史以来(?)言われてる話で、私自身もそれを抑制できるほど人格者でもないから、まあいいのではと思います。ただし、やっぱり「せめて相手が見てないところでやろうね」くらいのことをよく思います。インターネットに公開されているということは、公衆の場で陰口を叫んでいるということは自覚してもいいように思います。

 以上、前から思っていたことをだらだら書き連ねてみましたが、何かの参考になれば幸いです。