kmizuの日記

プログラミングや形式言語に関係のあることを書いたり書かなかったり。

私は(もはや)国内Scalaコミュニティの偉い人ではありません

 このことはいい加減はっきり書いておかないとなあということで、ちょっと記事にしてみることにしました。

 もちろん、英語圏Scalaコミュニティで私が強い影響力を持ったことはそもそもありません(日本でそれに一番ふさわしいのは@xuwei_kさんだと思います。恐ろしい数のcontributionという点で)。日本語圏でもScalaコミュニティ内で意義のある活動をしていたのは5年以上も前の事です。「外側」からみるとまた違って見えるかもしれませんが、それが正直な自己認識です。

 色々な経緯があるにせよ、私が日本でScalaコミュニティに関する活動を始めたのは、Scalaが良い言語なので広めたいという本当に純粋な動機でした。Scala Conference in Japan 2013を最初に企画したのは私ですが、あれもまあ起爆剤として誰かがやらないとなあと思っていたのを勢いでやったことですし、そもそも私自身が組織運営に本質的に向いてないこともあって、後継であるScalaMatsuriについては徐々に麻植さんや他のスタッフの方々へバトンタッチをしていきました。現在のScalaMatsuriについては、多少情報を伝え聞いていますが、ほとんどノータッチです。

 特に去年や今年辺りで、私が国内のScalaコミュニティに関して何かやったと言えるのは、「Scalaスケーラブルプログラミング第4版」の監訳に関する活動くらいです。

 それにも関わらず、国内だと未だに私がなんか日本Scalaコミュニティのボスみたいな見方をしている方が(悪意ではないにせよ)いらっしゃるみたいなので、それはもう違うんだということをここではっきりと宣言しておきます。まあ、そもそも初期からでもボスだったことは一度もないんですけどね。技術的批判やその他批判に関しては全面的にウェルカムですし、技術コミュニティでボスだのなんだの考える方が不健全です。

 まあ、実際に私がボスで周りに取り巻きがいるとか悪意ある見方をしてあまつさえ動画にした方を目にしたときは正直なところ、辛いなんてものではなかったです。同時に、取り巻きとかボスという視点でしかボランティアコミュニティのことをとらえられない悲しい人なんだなあと思ったことも書いておきます。

 初期の国内Scalaコミュニティの成立にあたって私が一定の役割を果たしたくらいの自負はありますが、特に2016以降のなにがしかの「成果」はほとんどが他の人によるものです。

 未だに私がScalaの、特に言語仕様について詳しいのはたぶん事実でしょうけど、それですらあくまで日本国内でのことで、海外だと私より詳しい人なんてざらにいます。

 だから、もしこれまで私のことをそう認識していた方がいたとしたら、これからは「Scalaが好きなただのプログラマー」として扱ってもらえたらなあと望むばかりです。

 数年以上前から、国内でScalaというと私にやたら注目が集まる(国内のScalaコミュニティ内では私が別にそんなに貢献してないのは周知ですが、「外野からみた認識」としてですね)状況は色々な意味で不健全だと感じていましたし、望んでもいないのに成果を横取りしたように思われたり、関係ないことで風評被害を流されたりなどがあり、一年以上前から今後どうしようかと色々考えていました。純粋なボランティアとしてやっていた部分が多いのでそういう風評被害に反応するのも正直疲れています。

 もちろん、Scala研修テキストは主要メンテナとして(最近更新が滞り気味ですが)責任をもってメンテナンスしていこうと思いますし、それ以外でも出来る範囲で貢献はしてくつもりです。ただ、そもそも私のライフワークは構文解析プログラミング言語自体に関して作ったり考えたりすることですし、さらにいうなら現在はプログラミング教育や物事の認知といった方向にシフトしてきてもいます。

 もし自意識過剰だったのなら笑っていただければいいのですが、そうでないのなら、どうか「日本のScalaの偉い人」などと扱わないで欲しいというメッセージが届けばいいなと思います。