kmizuの日記

プログラミングや形式言語に関係のあることを書いたり書かなかったり。

ネット小説を書き始めて三年以上経って気づいたこと:鯛粗は重要

 元々、幼少期から私は全くもって特に小説家あるいはクリエイター志望ではありませんでした(一貫してたのは学究路線の方)。その一方で、年齢を重ねるに連れて、色々な娯楽を読み耽るほどに「なんでこの終わり方なんだよ!」とか「ここでこのキャラを退場させなくていいだろ」とか「せっかく仲良し方向の路線だと思ってたのに、どうしてギスギスに……」という思いが募っていく一方でした。

 そんなとき、ふと、ネット小説家界隈で言われたことの一つを思い出したのでした。要旨だけを抜きだすと「じゃあその君のモチベーションを軸にして実際に、自分が納得の行く物語を作ってみなよ。もしそれが読者の心に響いたのならきっと読まれるよ」というものです。

 そういう言葉を聞いてやってみるか、やってみないかは当然個人の自由ですけけども、私自身はネット小説「論評」界隈の「読んだことも、書いたこともなく」、どうせなろうってこうでしょうっと論評する一部……でない人たちの不誠実さは好ましく思っていませんでしたから、正当な論評をするためにも、もちろん、自分が好きな物語を作るためにも小説を書き始めてみようと一念発起してアカウントを作成したのが、確か2019年の夏頃でしょうか。

 ちなみに、ネット小説といってもなろう一強の時代はとうに過ぎており、後発のカクヨムはある意味で既になろうを追い越している部分もありますし。他にもアルファポリスなどメジャーな小説投稿サイトはあります。

 さて「とりあえず書くか」とジャンルを決めてなろうに連載を始めたわけですが、読者がとにかく来ない、来ない……。PVを見ると全く読まれてないわけでもないようだけど……みたいな状態が約半年続きました。

 さらに処女作はあまりにもリアリティを重視しすぎてしまったが故に途中で私のほうでスクラップにすることになってしまいました。作者になってみるとわかるんですが「キャラクターが動いてくれない」って心理的に本当につらい。この初作での苦い失敗経験はそのリバイバル版というべき作品でだいぶ改良されることになるのですが、それはともかく。

 処女作はそんな感じで無惨に終わりを迎えましたが、その次に思いつきで書いた数十話程度の長編(中編?)小説は一部の熱心な読者が毎話コメントつけてくださったおかげで、無事に主人公たちにきちんとハッピエンドを迎えさせてあげられました。今でもその読者さんは私の作品に「いいね」を入れてくれたり、場合によって感想書いてくださるのですが、彼(彼女?)のコメントがなかったら挫折してただろうなーと思うと思い出深いものです。

 こうして(心情的な意味での)処女作はなんとか無事ハッピエンドを迎えることができました(カクヨムで★160以上、最終話PVが1217なので、心情的な処女作としてはなかなかものかもしれません)。ちなみに最終話PVは最終話「だけ」読んだ人がカウントされる可能性があるので注意ですが、最終話直前あたりで1154PVなことと他の話数でのPVを考えると、1000名近い読者の方が読んでくれたことになります。

 ネット小説の世界というのは消費が非常にはげしいので「流し読みしただけの人」たとえば、1話1分でほんとうに「あらすじ」だけ見るような大味な読み方をした人もカウントされることの留意しないといけませんが、ともあれまあまあだったのではないかなと。

 心情的な意味での処女作はまずまず成功しましたが、そうすると次も書いてみたくなるのも人情というもの。詳細を書くと色々バレそうなのですが、次ではもうちょっと思春期っぽい話を70話超で描いてみることにしました。ヒロインの特徴とか描いちゃうとこれまた割と簡単に検索でヒットしそうなのでぼやかしておくと「方言」が一つのキーワードと言えましょうか。

 こちらの作品はまた、前とは別の、すっっっごく熱心な読者さん(+前作でついた読者さん)がどんどん応援コメントや応援レビューくださったこともあって、ラスト数話は睡眠時間を削って完成にこぎつけました。こちらはカクヨムで★230以上、最終話PVが1200くらいでしたが、読者さんの熱量という意味では(SNSからの反応も一部に)圧倒的にこちらが上でだいぶ自信がついたものでした。

 応援コメントで「続きが読みたいです」が割と真剣に多かったので実際に後日談を別作品で作ってしまったくらいです……。

 ともあれ、そうしてだらだらと創作活動を続けて三年以上になります。

 長編も10話以上完結させて、短編も多数生産して(短編は生産数が多すぎて、他の作者には見られない異常な数値を叩き出しているので、書くとやはりわかりそうなので控えます)。カクヨムでは★100くらいは普通に(下記始めの頃は、★100もらえるくらいの作品を書くのが最初の目標とも言えました)、なろうの短編でもジャンル別日間ランキング5位以内にはうまくやれれば(1位に入ったことも)入れるくらいには書き慣れてきたのかなと思うところです。

 正味の固定読者数は推計ですが、なろうの方で少なくとも約300(逆お気に入りの数から推計)、カクヨムの方はもうちょっと感覚的ですが200~300名くらいはいそうな感じです。そんな中、気づいたことがあるのでちょっと書き留めておこうかなと思ったのでした。

 たとえば、ネット小説の、特になろうでの小説執筆が普通の小説執筆と違うところに「ランキングバトル」という側面があることです。「小説家になろう」では読者が読んだ小説についてポイント形式で投票できるのですが、それにもどついて「総合」「各ジャンル別」について1~100位以内のランキングを一日三回更新されます。そのランキングで上位に上がれば読者の目につきやすくなり、つまるところより読んでもらいやすくなり、ますます評価が得られやすいという好循環が生まれるわけです。私も一時期、短編小説でいかにして日間ランキング5位以内に入るかの手法を考えるのに腐心していた時期があり、ある意味射幸性のあるギャンブルチックな側面ともいえるかもしれません。

 また、ネット小説は特に供給量が豊富な故に、タイトルとあらすじの付け方がまずいと、いくら本文が良かろうが致命的に読まれないということも重要です。仮に恋愛小説を書くとして「僕と彼女のヒトナツの恋」などという平凡なんだかちょっと気取ったのかわからないような題名は言語道断と言っても過言ではありません。

 何故かというと、読者は皆忙しいので、本文を読むべきか切るべきかをできるだけさっさと判断したいからす。半分過ぎてから、これじゃないんだよなと思って時間を無駄にしたくないのです。「僕と彼女のヒトナツの恋」というけど、彼女は病気でこの世を去るのか?それとも、単純に夏に出会った相手との恋なのか?などなど、男性向け恋愛小説について読者が特に知りたいヒロインについての情報量がほとんどこのタイトルが含まれていません。タイパ世代という言葉が頭をよぎりましたが、データ上は世代を問わずに見受けられるようなので、まー人間、娯楽が溢れればそうなるさってことかもしれません。

 いい「タイトル」というのも曲者でして、なろうだけでなくカクヨムでも、結局「タイトルだけでおおまかな内容を連想できるくらいには長くなっていないといけない」という原則は基本的に変わっていません(長文がmustなのではなく内容が連想可能がmustなのがポイントです。これを利用すれば短いタイトルでもうまくハマるのも作ることはできます)。ここで「美しいタイトル」をつけたいと思う、普通の作者の美意識や願望と「いやでも読まれないと意味ないしな」という現実主義との葛藤が生まれるのです。これを読んでる読者の方々、なろうなどの小説における長文タイトルは別に作者が好き好んでそうしたわけではなくて、そうしないと小説が生き残れない、より正確には読まれずに放置されるだけになるという前提条件があるのだと思えば、少しは理解できるのではないでしょうか。それでもなお、私には葛藤が残りますが。

 あとは「あらすじ」もですね。ここでの「あらすじ」は本来の意味でのあらすじとは違うのが曲者で、いわゆる煽り文の類である必要があります。リアル書店に並ぶ書籍は、編集さんが帯のコメントなど色々考えてくださるわけですが、ネット小説家だとこの部分も当然ながら全部自分でやる必要があるというわけです。この「タイトル」と「あらすじ」が重要というのは、ある意味多くの読者に読んでもらうときの記事の書き方の基本みたいなものであって、小説を書き始めてから以前と違う観点で文章を意識するようになった……気がします。

 他にも、なろうのランキングで上位に入ると途端に荒らし感想が増えてくるとか、カクヨムはなろうに比べればだいぶ平和だなとか他にもありますが、今日はとりあえずタイトルとあらすじが重要ということで。