kmizuの日記

プログラミングや形式言語に関係のあることを書いたり書かなかったり。

エアリプをやめよう

 こんばんは、kmizuです。表題の件についてですが、少し前の私への自戒として、あるいは、エアリプ多めの方々に対して思うことです。

 まず、最初に、エアリプについて。特に、ツイッターでよく使われる言葉で、特定の相手に対して反応する意図がありながら、メンションないしは、特定が可能なワードを用いずに(あるいは、特定が不可能なように)、その相手について言及する行為を指す事が多いようです。ここでは、"kmizuさんがうんぬん"みたいに、@つけないだけで、読んだ人が、誰を指しているのか特定可能なツイートは、エアリプには含めません。また、リアルタイムでの時事問題への言及とかその辺も、エアリプに含めるのはおそらく適当ではないでしょう。

 これ、振り返ると、一年くらい前の(あるいは数ヶ月前も、かも)自分とかちょくちょくやってたんですが、特に人間関係的な意味でよくないよな、という事を最近思います。もちろん、エアリプが常に否定的な場面で使われるわけではないのですが、観測する限り、否定的に、あるいは批判的な場面で使われる事が多いように思います。

 否定的なエアリプがたまに、ならいいんですが、常態化すると、特にその人をフォローしていたり、ウォッチしていたりする人は、「あ、これ、ひょっとして、自分の事指しているのかも」とか、グサっと来たりすることがあるわけです(あくまで、私はそう感じるというだけですが、特殊な感性でないのなら、エアリプで論じられている内容に自分が思い当たるところがあれば「自分のこと指しているのでは」と思う心情自体は自然だと思います。特に、内省的なタイプならなおさら)。エアリプをした当人は、そのつもりが毛頭なくても、受け取り手はわかりようがないですし。

 そして、エアリプを頻繁にする人は、相手もそうであると想定してしまいがちなきらいがあるようで(※自戒を込めています)、あくまで一般論として書いたものを、エアリプであると読解してしまう事がどんどん増えていくようです。で、その結果、何が生まれるかというと、一言でいうと「相互不信」でしょうか。エアリプが一般論として取られる分にはいいのですが、一般論をエアリプであるのではないかと考えたり、あるいは相互に決めつけあったりするのは、何もいいことがないですよね。

 あと、それより何より、ツイッターは(鍵垢でない限り)、全世界から見られる、一種の「公共空間」なので(最近は、そういう認知がない人が増えていますが、数々の炎上事件を考えても、プライベートルームで言ったつもりの陰口が……って事は多いですよね)、そこで特定の相手を実質的に指しながら、明示しないのは、「相手に伝わる事を想定した陰口」(しかも、陰口を言われた当人は、そのエアリプに対して、メンションでは反論しづらい)」であって、相手に伝わらないようにする陰口よりも、むしろ趣味悪いのでは、と思うのです(※自戒を込めてます)。

 もちろん、特定の相手の言説への(内心での)批判から始まって、一般論に昇華したいって事はあると思いますし、そういうのはエアリプとはまた別ですが、エアリプは最小限にした方が、妙な相互不信が生まれることも減り、ツイッターランドがもうちょい平和になるのではないか、と思うのです。

 くどい程になりますけど、この辺は、たぶんに自戒を込めてます。というわけで、エアリプについて思った事でした。