kmizuの日記

プログラミングや形式言語に関係のあることを書いたり書かなかったり。

「世の中に一言言ってやりたい」病

 おはようございます。これまでの自分を振り返って、あるいはネット言説を見て、ふと思ったのですよ。なんか、ネットに流れる記事に即レスで「一言言ってやりたい」人が多すぎませんか?と。これは思いっきり私自身を刺す言葉でもあります。たぶんTwitterや雑誌記事のコメント欄をはじめとして短文で気軽に意見を言えるようになった副作用だと思うのですが、以前のブログ主流(あるいはWeb日記主流)時代だと、思考をきちんとまとめる必要があるので「世の中に一言言う」にももうちょっと考えをまとめるのが普通だったと思うのです(これは過去を美化しているかも)。

 政治に対して、Twitter上に飛び交う言説に対して、その他色々についてひとこと言いたい。あるいは、愚かしい(と主観的に判断した)言説にため息をつきたくなる気持ちも、行政の不甲斐ない対応に憤る気持ちも、腐ったシステムへの苦情も。今の自分にもそういう気持ちがあるから凄くわかるのですが、ちょっとセーブしてみてもいいんじゃないかなと。あまりにTwitterでお気軽に「世の中に一言言う」癖がつくと、でもって、それがLikeされたりRTされたりすると、「一言言う自分」が肯定された気がして、ますます一言言いたくなるというループに陥りがちな気がしています。

 じゃあ、だからどうするかというと難しいところですけど、「一言言う」前に「これ、わざわざつぶやく意味ある?」と多少検討する時間をおいてもいいんじゃないかな?と。検討する時間をおいても、なお言った方がいいことはあると思えば言えばいいですけど、タイムリーに「一言言ってやりたい」欲求をセーブするのは、精神衛生上も、Twitter言論空間をより平和にするためにも重要なんじゃないかと最近は真剣に思っています。そもそも、Twitterは文字数制限がある上に、現状のUIだと議論の流れが凄くわかりにくいので根本的に立ち位置が異なる人たちと議論するのに向いてない(というのは私自身も含め、以前からわかってたと思いますが)わけで、不毛に時間を消耗するのもどうなのだろうかと思うのですよ。

 あと、別の観点として、凄く頭のいい人たちがツイッターで消耗している時間を考えると、トータルで見てもよろしくないのでは?とも思います。

 原初のなうなう言ってたTwitter黎明期に戻って、もっとくだらない、毒にも薬にもならない事を共有しあうのがメインの場でいいんじゃないかなーと。そう思った2021年9月2日(木)の朝でした。